4月に食べたラーメンたち
本当は一件一件ちゃんと書きたいけど,いい加減記憶が風化しかけているのでまとめて投稿。
とくに何も書いてなければ美味しかったと思いねえ。
本郷三丁目 瀬佐味亭
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131004/13008447/
担々麺の人気店。上が黒担々麺,下が黄金担々麺だったはず。このお店は辛さはそれほどでもなく,ゴマの風味がよく分かる優しいスープが特徴ではないかと思う。ジャスミンティーが美味しいのも個人的には高評価。
門前仲町 双麺
http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131303/13170130/
この日は創業記念か何かで一杯500円だったはず。しかし一番安い醤油を頼んでしまうという痛恨のミス(味噌が一番高く,次点は塩)。このお店はお酒とつまみが結構充実しているのもよい。
春日 MENSHO TOKYO
メンショー トーキョー (MENSHO TOKYO) - 後楽園/つけ麺 [食べログ]
上はまぜひつじ,下はラムそば煮干し醤油。MENSHOは近隣のラーメン屋では一番旨いと思う。複数のメニューの完成度が高く,スパイスやラー油など味変要素も多いので飽きがこない。願わくはまぜひつじを頼んだときについてくる花椒を常時使用させてほしい。
お茶が美味しいのもgood。
秋葉原 影武者
http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13103279/
デカァァァァァいッ説明不要!!
影武者ラーメンとつけ麺。チャーシューが大きいだけでなく美味しいし,ラーメンも美味しい(少ししょっぱいかな)。コストパフォーマンスは近隣で一番に思う。
秋葉原 鶏王けいすけ
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13152221/
けいすけの系列店。鶏王らーめん鶏白湯スペシャルと鶏王担々麺。
もともと鶏白湯は好きなのだけど、ここのは少し鶏油が多過ぎて細麺と合っていないような気がする。しかしトッピングのローストチキンがホロホロで美味しく、それを補って余りある。全体的には好きなお店。
上野 大勝軒next
http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13177174/
勝浦式タンタンメンとつけ麺。つけ麺は普通の大勝軒同様の甘酸っぱいスープのもの。勝浦式タンタンメンは美味しかったはずだがあまり記憶にない。確かラー油がスッキリした辛さで美味しいと思ったような……。
attitudeは心構えか態度か……あるいは精神か
@kiraku_ann どう誤訳なんでしょうか?
— Hiroo Yamagata (@hiyori13) 2016年6月26日
@kiraku_ann ぼくの訳が唯一の権威ではないし、意味的にも十分正しいし、誤訳とかあげつらうべきものではないとおもいますよ。いろんな訳があってよいのです。
— Hiroo Yamagata (@hiyori13) 2016年6月27日
元tweetはこちら。
ハッカー五大精神は
— eternalwind (@juns76) 2016年6月24日
1世界には魅力的な問題がたくさんある
2同じ問題を別人が繰り返しとくのは無駄なこと
3退屈な単純作業は悪
4自由は善
5態度の良さは能力の代用にはならないhttps://t.co/trn2jt4gVu
個人的には,「山形浩生がこんな大人の対応をしてしまうなんてつまらない」と思わなくもないが,しかしまあこれは当然の反応か。morito.s氏のいう「「心構え」は表明するまで外からは分からない人間の内側の件、「態度」は第三者からも確認できる外側の件なので意味が真逆ではないかと思い誤訳と書きました」という理屈は,日本語のニュアンスの差の説明としては通じても,そのまま訳に援用できるものではない。
とはいうものの,eternalwind氏にも上手くないと思われる部分がある。そもそもの英文は以下のようなもの(出典 エリック・レイモンド:How To Become A Hacker)。
The Hacker Attitude
人によっては一読して気が付くであろうけど,この短文の最大の見どころ,というかオチは,「The Hacker Attitude」と大上段に構えながら,最後の5で「でもattitudeだけじゃだめだよ」と言ってしまっていることにある。
そういう意味で,attitudeの訳に何の日本語をあてるかは大した問題ではないかもしれないが,2つのattitudeに同じ語をあてるのは重要で,流石ここは山形浩生氏は外していない。
これは訳の巧拙の問題とは異なるかもしれないが,用字や用語に対する配慮という意味で,やはり山形浩生氏のほうが一枚上手と言わざるを得ないだろう。
本郷三丁目:琴海(ラーメン)
写真はお店の看板メニュー,親子ラーメン900円也。
ちゃんとした唐揚げが5つのってこのお値段はなかなかお値打ちに思う。
ビールにもよく合いそうなんだけど,このお店,缶ビール(400円)しか置いていないのが玉に瑕。
お酒がもう少しあればもっと頻繁に通ううんだけどねえ。
ラーメン自体はアゴ(トビウオのこと)出汁が売りなのだが,魚臭さはなく,かなり淡泊目の味付けといっていいように思う。
しかしよく見ると,スープが少ないような気が。スープのコストは大きいというけれど,余裕がないのだろうか。
なんだかんだ言って好きな店だし,もう少し通うかなあ。
その辺の貝を食べる
先日,行きつけの居酒屋のお通しで亀の手を頂いたのだが,これがなかなかにうまかった。
そこで,もともとはビール気分だったのを変更して日本酒(匠の大吟醸だったか)をいただきながら貝をいくつか出してもらったのだけど,内容が思い出せない。サザエがあったのは記憶しているのだが……
さて,その場では小さいころにその辺でとって食べた貝の話題でそれなりに盛り上がった。牡蠣やカラス貝などが近所の岩場なり桟橋なりについていたのはよく覚えていたのだが,よく煮込んでもらっていた小さな巻貝の名前がどうしても思い出せなかった。
何だったのかなあ。バイ貝の類に似ているように思ったけど。
余談であるが,私の生まれ育った町の隣町ではヒトデを食べる習慣があったそうな。子供で食べてるのは見たことなかったけどね。
京大卒が専業主婦になろうがなるまいがもったいないし,もったいなくない
数日前に,京大出で専業主婦になった方が,他人から「もったいない」といわれたことを嘆くブログ記事が話題になった(もとの記事は既に消えてしまったようだけれど)。
数日のうちに様々な意見が飛び交ったが,概ね以下のようなものが多かったように思う。
- 個人,個々の家庭の自由だ
- 専業主婦は立派な仕事だ
- 教育等で今後生かされる機会はいくらでもある
- 大学,とくに国立大は国のお金が多く入っているのだから,一定の責任を果たすべきだ
- 天与の才は,生かすべきである
これらはいずれも,まっとうな感覚であると思う。
一部には心無い声もあったものの,概ねは擁護する声であったし,批判的な意見も理屈か義理のいずれかは通そうとするものがほとんどであったし,元記事の筆者がこの記事を書いたことを振り返ったとき,多少なりよい思い出になっていればと願う。
さて,単に観測範囲が狭いだけかもしれないけれど,自分が感じたことの中でほかの記事ではあまり見かけなかったものについてメモしておきたい。
「もったいない」という言葉のくだらなさ
大辞林には「勿体無い」の意味として以下の4つが挙げられている。
①(有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。 「まだ使えるのに捨ててしまうとは-・い」 「あんな有能な人物を放っておくのは-・い」 「こんな事をしていては時間が-・い」②(神聖なものが)おかされて恐れ多い。忌むべきだ。 「神前をけがすとは-・い」③(目上の人の好意が)分に過ぎて恐縮だ。かたじけない。 「御心づかい-・く存じます」④(あるべき状態からはずれて)不都合だ。不届きだ。 「帯紐解き広げて思ふことなくおはすること-・し/盛衰記 36」
「勿体」には,もともと「物の本質」あるいは「本質的な状態にある物」くらいの意味があるそうで,大層な意味でも用いられる言葉ではあるが,現代的に会話で用いる分にはもっぱら1の意味でであろう。
「もったいない」という言葉を聞いて,思い浮かぶのはどのような状況だろうか。
自分は,
「大根の葉っぱ,捨てるなんてもったいない!」(漬けるなんてめんどくさいんじゃ)
「そんな新鮮な鯛,煮つけにしちゃうなんてもったいない!」(煮つけが食べたいの!大体,白身の刺身は熟成させたもののほうが好きだし)
のような状況である(この食い意地よ)。
こういう場面が思い浮かんでしまうので,もったいないなどといってくる人の話など,そもそもあまり真面目に聞く気になれない。「もったいない」こと自体は当たり前
そもそも人生は,選択の連続である。そして,何かを選ぶことは何かを捨てることである。なんてことは誰だって小学校高学年くらいには気が付いているはずだ。
であれば,何かにつけ「もったいない」と感じてしまう人がいること自体はしょうがない。
例えば,勝手ながら元記事の筆者が絶世の美女で,アラブの石油王に求婚されているが,そのためには専業主婦にならなければならない,という設定にしてしまおう。
この場合,京大卒にこだわって働きたがる方がもったいない,と感じる人がたくさん出てくるだろう。
あるいは,「京大卒の知性が生かせる職業」にしたって,いくつも選択肢がある。アカデミックな世界に残るか,外コン・外銀で稼ぐか。どう進むにせよ,それはほかの道を捨てることであり,一種のもったいなさは存在する。
人生にはもったいないことがたくさん転がっているが,それを切り捨てることで得られるものもまた多くある。もったいないと感じることはともかく,それを言ってしまう人のことは個人的にどうかと思うが,こういう人に対しては「もったいないという見方もありますね」ということは認めてあげたほうが話が早いだろうなーとは思う。
そうはいっても……
実は自分も東大卒で,その割には大きくない会社に入っているので,周りからもったいないと思われているかもな,と感じ,この記事が琴線に触れた(隙あらば自分語り)。
自分ではもちろん,大きさだけではわからないこの会社・この仕事のよさを理解しているし,選択に至った経緯も完全に理解しているので,後悔はあまりない(完全に後悔のない人生なんてないと思うし,そういった意味で十分満足)。
「もったいない」と感じる理屈自体は想定できるので,他人がそう思うこと自体はしょうがないと思うし,自分のことをある程度理解しているような近しい人は概ね自分の選択に好意的なので,さして問題はない。
ただ,ほかならぬ自分の両親が少し「もったいない」と感じているのではないかと思ってしまうこともあり,少し辛く思うこともある。ただ,両親の場合は「もったいない」と感じてくれるのは自分(の一部)を過大評価してくれているからこそであると感じるし,ゆえに辛さ以上にありがたさを感じる。
元記事の筆者も,「無視できない人間」からの意見であったとコメント欄に書いていたように思うけれど,自分への評価の高さゆえの「もったいない」なのだと感じられるようになる状況があることを願ってやまない。
余談:
最後に少々下衆な話をすると,男女ともにいわゆる難関大に行けば行くほど難関大卒の配偶者をえられる確率が高まるのは間違いないように思う。
もちろん,それが良いことという訳ではないが,学歴がもったいないなどと言う人であれば良いことと思うであろうし,一つの反論になるのでは?
ブログを始めるにあたって
さて,かつて何度も三日坊主を繰り返してきたが,今度こそ継続できるよう頑張ろう。
そそもそも自分はメールを書くにも推敲を重ねて結果面倒になってつい筆不精になってしまう人間なわけで,文章を書くには向いていない人間なのかもしれない。
思うに,書くことよりも直すことに快感を覚えてしまう感性が駄目なのかもしれない。しかしその感性が仕事には多少役立っているわけで,あんまり悲観的になるようなものでもないか。
ブログを書く際には,以下のことを守るようにしたい。
- 思ったことを素直に書く
- 嘘はつかない
- 過ちては改むるに憚ること勿れ
- 上記を他者を傷つけたりその他不善をなすことの言い訳にしない
普段生活していてちょっと「いいこと」を思いついてもすぐにどこかに流れて行ってしまうけれど,ここがそれらを残して後で見返せる場になればよいと思う。ゆえに現実のしがらみを忘れ素直に書くことを第一に大切にはしたいが,だからといってそれを悪意をばらまく口実にしてしまうことは避けたい。
まあ,僕のような小物は好きに振る舞っても大した悪事はなせないだろうから,杞憂にすぎないであろうとは思うが。