鈍い備忘録

ブログを書く時はね,誰にも邪魔されず自由で(以下略)

京大卒が専業主婦になろうがなるまいがもったいないし,もったいなくない

数日前に,京大出で専業主婦になった方が,他人から「もったいない」といわれたことを嘆くブログ記事が話題になった(もとの記事は既に消えてしまったようだけれど)。

数日のうちに様々な意見が飛び交ったが,概ね以下のようなものが多かったように思う。

  • 個人,個々の家庭の自由だ
  • 専業主婦は立派な仕事だ
  • 教育等で今後生かされる機会はいくらでもある
  • 大学,とくに国立大は国のお金が多く入っているのだから,一定の責任を果たすべきだ
  • 天与の才は,生かすべきである

これらはいずれも,まっとうな感覚であると思う。

一部には心無い声もあったものの,概ねは擁護する声であったし,批判的な意見も理屈か義理のいずれかは通そうとするものがほとんどであったし,元記事の筆者がこの記事を書いたことを振り返ったとき,多少なりよい思い出になっていればと願う。

 

さて,単に観測範囲が狭いだけかもしれないけれど,自分が感じたことの中でほかの記事ではあまり見かけなかったものについてメモしておきたい。

「もったいない」という言葉のくだらなさ

大辞林には「勿体無い」の意味として以下の4つが挙げられている。

(有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。 「まだ使えるのに捨ててしまうとは-・い」 「あんな有能な人物を放っておくのは-・い」 「こんな事をしていては時間が-・い」
(神聖なものが)おかされて恐れ多い。忌むべきだ。 「神前をけがすとは-・い」
(目上の人の好意が)分に過ぎて恐縮だ。かたじけない。 「御心づかい-・く存じます」
(あるべき状態からはずれて)不都合だ。不届きだ。 「帯紐解き広げて思ふことなくおはすること-・し/盛衰記 36

 「勿体」には,もともと「物の本質」あるいは「本質的な状態にある物」くらいの意味があるそうで,大層な意味でも用いられる言葉ではあるが,現代的に会話で用いる分にはもっぱら1の意味でであろう。

「もったいない」という言葉を聞いて,思い浮かぶのはどのような状況だろうか。

自分は,

「大根の葉っぱ,捨てるなんてもったいない!」(漬けるなんてめんどくさいんじゃ)

「そんな新鮮な鯛,煮つけにしちゃうなんてもったいない!」(煮つけが食べたいの!大体,白身の刺身は熟成させたもののほうが好きだし)

のような状況である(この食い意地よ)。

こういう場面が思い浮かんでしまうので,もったいないなどといってくる人の話など,そもそもあまり真面目に聞く気になれない。
Mottainai”などと書いてもてはやす人もいるが,そんなに大したことだろうか。

「もったいない」こと自体は当たり前

そもそも人生は,選択の連続である。そして,何かを選ぶことは何かを捨てることである。なんてことは誰だって小学校高学年くらいには気が付いているはずだ。

であれば,何かにつけ「もったいない」と感じてしまう人がいること自体はしょうがない。

例えば,勝手ながら元記事の筆者が絶世の美女で,アラブの石油王に求婚されているが,そのためには専業主婦にならなければならない,という設定にしてしまおう。

この場合,京大卒にこだわって働きたがる方がもったいない,と感じる人がたくさん出てくるだろう。

あるいは,「京大卒の知性が生かせる職業」にしたって,いくつも選択肢がある。アカデミックな世界に残るか,外コン・外銀で稼ぐか。どう進むにせよ,それはほかの道を捨てることであり,一種のもったいなさは存在する。

人生にはもったいないことがたくさん転がっているが,それを切り捨てることで得られるものもまた多くある。もったいないと感じることはともかく,それを言ってしまう人のことは個人的にどうかと思うが,こういう人に対しては「もったいないという見方もありますね」ということは認めてあげたほうが話が早いだろうなーとは思う。

そうはいっても……

実は自分も東大卒で,その割には大きくない会社に入っているので,周りからもったいないと思われているかもな,と感じ,この記事が琴線に触れた(隙あらば自分語り)。

自分ではもちろん,大きさだけではわからないこの会社・この仕事のよさを理解しているし,選択に至った経緯も完全に理解しているので,後悔はあまりない(完全に後悔のない人生なんてないと思うし,そういった意味で十分満足)。

「もったいない」と感じる理屈自体は想定できるので,他人がそう思うこと自体はしょうがないと思うし,自分のことをある程度理解しているような近しい人は概ね自分の選択に好意的なので,さして問題はない。

ただ,ほかならぬ自分の両親が少し「もったいない」と感じているのではないかと思ってしまうこともあり,少し辛く思うこともある。ただ,両親の場合は「もったいない」と感じてくれるのは自分(の一部)を過大評価してくれているからこそであると感じるし,ゆえに辛さ以上にありがたさを感じる。

元記事の筆者も,「無視できない人間」からの意見であったとコメント欄に書いていたように思うけれど,自分への評価の高さゆえの「もったいない」なのだと感じられるようになる状況があることを願ってやまない。

余談:

最後に少々下衆な話をすると,男女ともにいわゆる難関大に行けば行くほど難関大卒の配偶者をえられる確率が高まるのは間違いないように思う。

もちろん,それが良いことという訳ではないが,学歴がもったいないなどと言う人であれば良いことと思うであろうし,一つの反論になるのでは?